区切りと切替えの自己暗示

雰囲気は横浜のようだ。
初台のオペラシティから外の大通りに向かってエスカレーターを使い下りているような、そんなところにいて、小学校時代に仲の良かった男と昔話をしていた。
話していると忘れていた記憶が少しずつ思い出されてきて嫌な気分にもなったりしていた。
さっきは見覚えのあるビルの2階にいた。
もう無くなってしまった大井町の本屋が入っていたビルに似てた所だ。
そこにある中古雑貨を扱ったお店の店主は老夫婦でいつも機嫌が悪いように見え、乱雑に積まれた商品を冷やかし半分で手に取る客に冷たい目線を投げていた。
あるおばさんがレジの前で何か小さな商品を落としてしまった。
その途端に店主のお婆さんの方が怒り狂っていた。
初めは怒られていたお客のおばさんはポカンとしていたが段々と反撃に出た。
「そんなに言うのならば大事に何かで覆ったり、落ちないようにしっかり固定しておけばいいじゃないの。」
そういうと店主のお爺さんの方が加勢してきて
「あんたね、うちだってそれをしたいのは山々なんだよ。だけどね、それができない事情があってね、そんなことも汲み取らずにね、そういうことをいうのはね。あなたがそんなね、そういったことだからね、だからうちのモンもこういうことをいうんだよ。」
と言っていた。
この3人の言いたいことはわかる。
でもどうでもいいくらいくだらなく馬鹿げていることだっていうのもわかる。
人間の汚さも恐さもある。僕は近づきたくなかった。
僕の父親がそこに偶然いて、彼らの様子を見ていた。
3人の口喧嘩はお婆さんと客のおばさんが泣き出して終わった。
お婆さんは負けかけた人生に、弱音を吐きたくなかった。
ひょんなことで緊張感が途切れて泣いている。
その原因のおばさんは、楽しいはずの買い物が、なぜこんなことになってしまったのか、悔しくて泣いている。
僕のお父さんが彼らに近づいていって何やら声をかけている。
おばあさんの肩に手をかけ、やさしく何かを言ったかと思うと、周りの客が取り繕ったように笑い出した。
辺りの雰囲気がちょっとだけ明るくなったように思えた。
洒落た言葉であの場を明くるくしたのならば凄いことだけど、わざわざあんなイザコザに顔を突っ込むお父さんが少し嫌だった。
さっきそんなことがあったあと、僕は今あの子といる。
エスカレーターを降りたところにある花屋さんの前に2人でいた。
小学校時代の友達はもういなかった。
高級感のあるガラス張りの大きな花屋で、温度調整のため店は閉め切っていて店頭には少しの花しか置いてなかった。
「花屋にある花はいい匂いがしないよね。保存料をたっぷり染み込ませてあるからだろうけど変な匂いがする」
というと
「うん。なんか興奮する。」
と彼女は答えた。
「それは科学的な匂いを吸い込んで、悪い意味で気分が変わるんだろうね。」
と言いうと聞いてなかったように彼女は歩き出し、僕らは明るい公園の方に向かった。
子供連れのお母さんや、学生が楽しそうにしているその公園には川が流れていて大きな橋が架かっていた。
僕らはそっちの方に向かって歩き、どこか座って休憩ができる場所を探していた。
日当たりが強かったのでちょっとした日陰なんかがあればいいなと思っていると、橋の近くに階段があって、川辺に下りていくことができるようなので、そこを降りていくと二階建ての立体駐車場のような鉄筋の建物があった。
その薄暗い建物は鉄板と鉄の柱だけの廃墟のような雰囲気で、中に浮浪者のような男が倒れていた。
何かブツブツと言いながら床を這いずり回っている。
その男の向こうにゴリラがいるのが見えて、そこを抜けると川が流れているのが見えた。
浮浪者の男のそばを通りたくは無かったけど、川の方にも行ってみたいし、あれが本物のゴリラかどうかも見てみたくて薄暗い建物に入っていった。
匂いはなく、湿った空気となんとなく反響する音が聞こえてきて、感覚が過敏になっているようだった。
ゴソゴソと動いている浮浪者の男は上半身裸で垢まみれであり、精神にも身体にも障害があるように見えた。
できるだけ彼の近くを通らないように迂回すると、柱の影に別のゴリラがいてそれは死体だった。
脳みそや内臓らしきものがはみ出て死んでおり、外から建物内に入ってくる光が埃っぽい死体の断片を照らして、体液がついた体毛は洗わずに放置した筆みたいに固まって全体的に干からびて見えたので死んでから大分経っているようだった。
「これはゴリラかな」と彼女に聞くと「そうだね」と答えたが、死体のゴリラの方には目を向けず向こうにいる、生きているゴリラを彼女は見ていた。
生きているゴリラのほうに近づいていき少し離れたところで見ていると、柱の向こう側から象の鼻が上下に動いているのが見えた。
ここは駐車場ではなくて、動物園の動物舎みたいな場所だったのかもしれない。
それが今では朽ち果ててしまって、おどろおどろした場所になってしまったのだろう。
彼女が僕の手をにぎってっきた。
今来た場所に戻ろうとすると、浮浪者が僕を見て大声で何かを言ってきた。
どうやら僕が気に喰わないらしい。
ここに来たのは間違いだった。
階段を上って早く日当たりの良い場所に戻りたい。
浮浪者は床を這い回りながら目を見開いて僕を見ていて気持ちが悪い。
別の男がその浮浪者の近くにやってきた。
その男は、いわゆる浮浪者という風貌でもない。
彼らは僕らのことを見て何か話しているようだった。
すると、今来たその男が僕らの後を追いかけてきた。
僕は恐ろしくなって早足で逃げながら大声で叫んだ。
「誰か、助けてください。この男は僕らに危害を加えようとしています!」
階段の上の公園には人がけっこういて、こちらを気にし始めている。
男は逃げるように戻っていったが、とても悔しかったのだろう。
諦めきれずにまた僕らの方にやってきた。
僕はもっとヒステリックにまた大声で叫んだ。
「みんな見てください。この男の顔を忘れないでください!僕らに何かがあったときは彼が犯人です!」
僕は恐怖から気が狂ったように叫び散らしていた。
今その男と僕を客観的に見たとき、異常なのは明らかに僕の方だ。
その男は僕に向かって
「だから秘密を教えてやろう、って言ったのに」
と小声で言って逃げていった。
秘密とは何だろう。
あの廃墟にいた浮浪者と死んだゴリラ。
その向こうにいた生きていたゴリラと象の鼻。
廃墟を抜けたところにあった川。
何だったんだろう。
僕は小学生の頃ずっと好きだった子と手を握り、そんな一日を過ごした。
悪い目覚め

考えている
いつも考えているだけだ
動かずに
何があったかを考えている
何をしようかと考えている
動かずに
時計を見ると5時半だった
寒いので動きたくない
目線だけを動かしている
指を動かしている
恐いぞ
これはかなり恐いぞ
無駄なことを考えないというのならば、どこから無駄でどこから大事なんだろうか
吐き出したり働きかけたりすることや、子供を育てたり、昔好きだった子と偶然の再会をしたときに自信を持って挨拶ができたりすることが人生なのだろうか
ボーっとしているのは昨夜の酒が残っているからなのか
ちょっとした偶然が重なっているからなのか
こんなことを考えるのは無駄なんだろうか
目線を動かし時計を見ると5時40分だった
この10分間手先だけを動かして考えていただけだ
頭の重みや肩の張りを感じ、二の腕の痺れを感じて生きてることを実感する
純粋な欲望としての戦争と怯え

強欲な人間って好きではないんですが、おなかが減っているときは、飯屋などでいつもなら最初に気になる値段や味よりも量にばかり目が行きがちで、欲求むき出しになり、食べられる量の計算ができなくなったように多めに注文してしまったりします。
生きていくにはハングリーな状態でいたほうがグイグイと行動できるのだとしたら、計算ができていないほどに欲求が満ち満ちているぐらいのほうが上手くいくということで、こんな風な、強欲な人間って好きではないんですが、なんていう陰口も気にならないで突っ走れるかもしれません。
世間体とか、将来の不安とか、そんなことを理由にして、びびっていてもはじまらないということなんでしょう。
戦争を無くそう、イジメをなくそう、とよく言いますが、人間が共存するところに争いはつきものです。
まだ話すこともできないような小さな子供でも、自分のおもちゃを他人に渡したくないとか、これが欲しいとか、そんな感情から周りの子供たちと争います。
欲望のままに争う姿が人間の本能なのだとしたら、一人前にイライラしたり、人を憎んだり、愛したりは普通にできるのに、競争本能のみ機能しない僕やあなたは何者なのか。
多分、ただ怯えているだけでしょう。
何に怯えてるのか、そんなことはとっくの昔から知っているはずです。
ちょっとした贅沢

冬、夜一人で歩いています。家まではまだかなりありそうだ。
かなり冷える。
そんなとき100円で幸せを買いましょう。
夏の昼間。Tシャツは汗まみれ。肌にくっついて気持ちが悪い。
そんなときも100円でホッとできる。
僕はコインランドリーを探します。
コインランドリーで乾燥機に上着を入れて10分間乾燥させる。
夏場は着ていたTシャツを入れる。
変えのTシャツを持ち歩いてもいいし、いい機会だからと新しいTシャツを買ってもいい。
大きなリュックをいつでも背負っている僕はそれ様に着替えのTシャツも乾燥機に入れる前に吹きかけるファブリーズも10分間をさらに幸せにするための文庫本も持ち歩いてる。
でもそんなことは問題じゃない。
ちょっとした幸せを感じるために、たまには耐え忍ばなくたっていいと思う、ということです。
120円の缶コーヒーで暖を取るよりも、コーラで体を冷やすよりも新しい幸せな気分を味わえる。
さっぱりして、いい匂いの服を着てまた歩き出そう。
そうすると今度はジーパンの匂いが気になる。
靴下の蒸れも気になる。
今ではもう欲求を手に入れることは簡単じゃないから、そんなことでも更に嬉しく感じるたりもするものです。
ミゲル・カルデロン / Miguel Calderón

ウェス・アンダーソンの「ロイヤル・テネンバウムズ」という素晴らしい映画がありますが、
この監督の映画は細部までの作りこみが病的なまでに洗練されていてお洒落な雰囲気が醸し出されています。
映画に出てくるキャラクターもみんな個性的で魅力的です。
その一人がイーライ(オーウェン・ウィルソン)というキャラクターです。コンプレックスがあり、クスリ漬けになってしまっているので言動がおかしいのですが、彼の部屋に飾られている絵が以前から気になっていました。
こんな感じで飾られています。


この絵が気になった人は少なからずいるようですが、日本語の情報が少なかったのでこの絵の作家について整理してみたいと思います。
ミゲル・カルデロン / Miguel Calderón
1971年メキシコ・シティ生まれ(June 1)。メキシコ・シティ在住。
非営利団体のアート・スペース“La Panaderia”を主導、現在は作家、俳優として活動しています。
サンフランシスコのアート・インスティテュートで映画を学び、以後、様式化された美術の方法論から脱した技法を駆使しながら作品制作を展開しています。自らのアイデンティティーを形成した渾沌の都市メキシコ・シティ、そして同時代のポップ・カルチャーが、その作品制作の源となっています。作風は"low-brow"「ローブロウ」のようだといわれています。
1998年の展示会で展示されていた作品"Aggressively Mediocre/Mentally Challenged/Fantasy Island (circle one)"をウェズアンダーソンによって買われて映画「ロイヤル・テネンバウムズ」に使われました。
ペンキ、写真撮影、ビデオ、インスタレーションなど様々な方法で作品製作をしています。
2005年の横浜トリエンナーレにも来ていたようです。
色々な作品を作っているようですが、ウェス・アンダーソンが 購入したという1998年に発表された3枚の絵が好きです。
“Bad Route”, 1998

“Attack”, 1998

“Escape from Caca-ville”, 1998

同じ時期の絵
“Take Us Away from Caca-ville”, 1998

写真作品
Freakshowから2007

Family Portrait2000

Evolution of Man1995

メイン画像はGuest of Honor2006


